
当日の夕刻、ポートランド美術館に到着するや否や、クリアな日本語でお出迎えしてくださったのが、当美術館でキュエーターを務めているメリーベスさんでした。彼女とはもちろん初めてお会いしましたので、日本式に名刺交換とともにご挨拶をさせていただきました。彼女からいただいた名刺を見ると、PH.D.の称号が名刺に記載されています。どの分野でのPH.D.取得なのですかと僭越にもお尋ねしてみましたところ、日本美術史だというご返事でした。しかも大変流暢な日本語は、日本の大学で日本文学の修士も取得し、日本には合計8年滞在したからだというお言葉でした。
時間は、午後6:30からの集まりで、メリーベスさんとのご挨拶の後は、デルタ航空の国際営業マネージャーの村上みちこさんがわざわざこの企画のためにサンフランシスコからポートランドまで駆けつけていただき、彼女のもとで、立食でのひと時がもたれました。オードブルにしては、美味しくて結構お腹も満たされ、さらにオレゴン産の赤ワインの力も借りてよい気分になってきたところで、美術館の中に押し入っての版画展のツアーの始まりです。版画ツアーの案内人兼解説者は、もちろんメリーベスさんです。
彼女の解説は、基本的に日本語なのですが、解説に熱が入ってくると恐らく本人も意識しないままで急に日本語から英語にシフトします。そのシフトの仕方が超自然体でしたので、日本語でも英語でも彼女の解説を聞いている側は版画そのもの以上に解説に魅了されている自分たちがいることを知ることになります。とにかく、日本の版画や文化についての彼女の持つ知識や情報量は生半端なものではなく、質・量ともに日本人である私たち見学者を圧倒して余りあるほどでした。しかも有名な浮世絵や歌舞伎の版画になると、日本人であれば当然知っていて然るべきものというメリーベスさんから私たちに向けて質問が繰り出されるのですが、当の日本人は皆、返答に窮するばかりです。いかに私たちが日本の伝統文化に対して無知であったのかを思い知らされる羽目となりました。
浮世絵としての版画が始まったのが1702年ということで、その当時から好んで浮世絵に描かれた題材は、歌舞伎であり、歌舞伎を演じていた歌舞伎役者でした。初代市川団十郎の当時の稼ぎは、年800両であったといいます。一般の平民の稼ぎは、せいぜい年1両であったというのですから、いかに歌舞伎役者が高給取りであったかが分かります。幕府のお偉いさんである旗本というポジションでも400両だったそうです。まさに、歌舞伎役者は、当時のスパースターであり、超セレブであったわけです。浮世絵で歌舞伎役者を描けば、その絵は飛ぶように売れたというのもうなづける話です。
そして1700年代も終わりに近づき、超有名な葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵画家が登場してまいります。特に海外では、広重の人気が高く、東海道五十三次を中心とした彼の使う鮮やかな色合いは、欧米人を魅了してやまなかったといいます。それは、1830年を境にして、ペルシアンブルーの鮮やかな青色の色彩がはじめて版画でも使われるようになり、浮世絵のクオリティがより洗練された高みまで到達するようになります。これら当時の浮世絵は、パリの印象派の画家などにも多大な影響を及ぼしているのは、周知の事実です。
また今回の版画展ではじめて知って驚愕したことは、版画というのは、大変な集団作業の賜物として出来上がるということでした。北斎や広重は版画のデザインを担当した画家であり、そのデザインどおりに版画の原紙を描く絵師、絵師が描いたとおりに木彫りを行う彫り師、そして彫り師が彫った版元を使って版画を刷る刷り師といった具合での大変な共同作業であったのです。ですから、北斎や広重のような超ハイレベルの画家がいくらその当時大勢いたとしても、絵師や彫り師、そして刷り師がいなかったら、彼らの浮世絵は決して陽の目を見ることがなかったというのは私にとっては驚き以外の何ものでもありませんでした。
約2時間近くにわたる熱い情熱のこもったメリーベスさんからの生の解説を実際にオリジナルの浮世絵を目の当りにして、いかに私たち日本人は、浮世絵という素晴らしい日本の伝統版画の世界を知らずにいたのか、その無知なることに恥ずかしさが思わずこみ上げてきました。そのような感情は、私だけのものではなく、恐らくツアーに参加された商工会メンバーの皆様全員がお持ちになった感情ではなかったかと察しています。日本にかつてこんなすばらしい芸術があったことをほとんど今の日本人は知らないのではないかと思われます。そしてその多くの浮世絵は、海外に流出して海外でその価値が認められ、アメリカやヨーロッパの美術館には無数の浮世絵が埋蔵されているのです。
このようなツアーの企画をしていただいたスポンサーのデルタ航空には本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして何よりもこのような版画展が実現したのは、メリーベスさんというキュレーターの方がポートランド美術館にいらしたからだと思います。そこには、日本人の姿や関与はまったく見受けられません。日本人が見失った日本の伝統芸術の価値は、いったいどうしたら今の、そしてこれからの日本人に理解してもらい、受け継がれることができるのでしょうか。これは、久しぶりに感じる大変大きな逆カルチャーショックであったといえます。本当に考えさせられた貴重な一夜の、言葉に尽きない美術館での素晴らしい経験でした。
弊社ウェブサイトにもどうぞお越しください。www.pacificdreams.org
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