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以前私が勤めていたことのある日本企業(三菱マテリアル)の在米日系企業(三菱シリコンアメリカ)で当時(1990年代半ばごろ)社内でひとつの議論が発せられていました。その議論とは、アメリカに駐在員や出張者を日本国内から送り込むとき、その人材は英語力で
選別すべきなのか、技術力で選別すべきなのかというものでした。明確ではっきりした答えが最初から出るような議題ではなかったので、会社としてはまずは試験的に英語力のある社員、そして技術力のある社員ということでふるいにかけ、選別を試みてそれぞれに該当する駐在員や出張者を日本の事業部や工場からアメリカに送り込んできた時期がありました。
 
その試験的な過程から得られた結果として、当時はどちらかというと傍観者的な立場であった私から見えてきたものは、技術力のある日本人駐在員の方が英語力のある駐在員よりもアメリカではよりよく「使える」という紛れもない事実でした。しかし、理想としてやはり言えることは、技術力と英語力の両方が備わっていることが最も強みの発揮できる人材であったということも紛れのない事実でありました。このことを今回はもう少し考察してみたいと思います。
 
私が学生であった1970年代終わりから1980年代初めにかけて、当時は英語ができないので理系に進んだという仲間が周りを見渡すと非常に多かった時代でした。今ほどにはネコも杓子も英語英語という時代ではなかったのですが、それでもいずれはグローバルな時代の訪れとともに英語が世界の国際語として担っていくであろうということはまことしやかにささやかれていました。そしてアメリカが世界一の大国としての地位を確立しつつある時期でしたので、アメリカで使われている言語としての英語というポジションも英語の地位を高める上で大いに寄与していたかと思われます。
 
これらの背景からお分かりかと思いますが、理系出身者で英語ができる人間は、非常に少なかったということが当時を振り返ると断言できます。私は理系(農学部)出身者ですが、英語教育をさほど重視しているとはいえない地方の国立大学(信州大学)の環境の中でも大学の貧弱な英語学習環境とは別にNHKの英会話番組を欠かさず見たり聞いたりして、英語学習を地道に続けていました。そして大学4年生の春休みに初めてアメリカに行き、ワシントン州東部(Cheney, WA)にある小さな教育系の州立大学(Eastern Washington University)でESLEnglish as Second Language)の授業を約3ヶ月近く取って、ある程度の英語力を身につけることができました。
 

しかし私は、もともと英語だけで身を立てていこうなどという大それた考えは毛頭持っていませんでした。英語はあくまでもコミュニケーションツールであって、本業や自分がやりたいことは自分の理系で学んだ専門分野を生かしたもっと別のところにあるはずだと考えていました。まあ必ずしも自分が大学の農学部で学んだことを生かしてきたかというとそんなこともないのですが、それでも今まで技術系分野や業界での仕事が主であったといえるのではないかと思います。その技術系分野の中で、当然英語を使う機会も多く、その結果として自分がアメリカに来たというところがあるわけですが、もし自分が純粋に英語だけしか関心がなく、技術は2の次、3の次であったのなら、技術分野での日の目は決して見られなかったであろうと断言することができます。

 
つまりアメリカに送る駐在員の人選を英語力だけで見て選んだ場合、その選ばれた人材がもし技術に関心がない、あるいは技術のことを熱心に学ぼうという気持ちが薄い場合には、その人選は失敗に終わる確率が非常に高いということがいえるのではないかと経験上、申し上げることができます。ですが、英語力の高さで選ばれた人材であっても、現地に駐在できて、技術や業界のことに関して多くの関心を持ち、謙虚に学んでいく姿勢があれば、その人材は、彼の地であっても、成功に寄与する公算が高いと思われます。しかし残念なことに、英語で選ばれて渡ってきた人材には、得てして技術方面には関心が低いままで、アメリカに来たときとほとんど変わらない状態で日本に帰任していくというケースがまま見られたのです。
 
では技術力を買われてアメリカに渡ってきた人材はどうだったのでしょうか。確かに彼らは皆一様に英語では大変な苦労を味わったのは事実でした。しかし、技術力は、単に英語力があるなしには関係なく、言葉を乗り越えて技術者同士での意思疎通ができてしまうということがしばしば見受けられました。また当時は、専門の通訳者も社内に常駐していて、必要であれば、通訳を通じてミーティングもできましたので、英語力がなければ仕事がにっちもさっちも先に進まないというようなことはほとんどありませんでした。ですが、やはり英語力を持った技術者がいれば、それは最も海外の組織の中で寄与することのできる人材であるということは間違いなく言えることでした。
 
英語ができるだけで選ばれた人材は、技術を理解するということへのハードルが意外にも高かったというよりは、そもそも技術にはもとから関心が薄く、それはアメリカ滞在中にも何ら変わることなくその面での進化や発展はほとんどなかったわけです。かたや技術で選ばれた人間は、滞在中英語をまったく無視するわけにはいかず、大変な苦労を伴いながらも日本に戻るころには、それなりの英語も話せるほどまでに成長していました。やはりこの2つの差は大きかったわけです。今の時代は、昔ほど理系だから英語ができないとか、英語ができないから理系に進むというような趨勢は非常に少なくなっているのではないかと思いますが、日本の文系・理系というような大学での別け方自体が、すでに世界の趨勢から見ると時代錯誤的なものになっているということを、日本の教育界や実業界では気づいていないことを私としてはむしろ大いに危惧したいところです。

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