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今回の東日本巨大地震は、こちらアメリカでは、英語で“Earthquake & Tsunami in Northeast Japan”と呼ぶことが多いようです。先日も私がここ何年も毎月通っているヘアーカットサロンで、私の髪の毛をいつも散髪してくれるナンシーとは、もっぱら東日本地震の話となりました。ヘヤーカット中に英語で話さねばならない世間話の話題には、けっこう何を話してよいものか悩むのが常なものなのですが、今回のヘヤーカットでは最初から最後まで地震の話に迷うことなく始終してしまいました。
 
ごく普通のアメリカ人の中年女性であるナンシーは、ヘアーカットサロンを一緒に経営しているご主人が,もともとドイツの出身であるためドイツを中心としたヨーロッパには何度も足を伸ばしているものの、日本を含め他の国々にはもちろん行ったことはないし、日本食も食べたことがないのではないかと思われるヒスパニック(メキシコ)系の血を引いた人です。大変気さくでおしゃべりで明るい人なのですが、地震の話ではいつになく声のボリュームも抑揚も抑えて、細々と私にこう語ってくれたのです。「私たちアメリカ人は、日本人から学ばなければならない」と。
 
彼女は、今回の地震と昨年起こったタヒチやチリでの大地震とを比較して、それらの地域では、地震後、暴動や略奪が起こり、軍が群集を制圧したりする事件が発生したのですが、日本では水や食料、灯油を買う人々が何時間も長だの列を崩さずに冷静沈着にして忍耐強く並んでいる姿をテレビの画面から見て、本当に感銘を受けたというわけです。2005年にニューオリンズが大洪水をこうむったハリケーン・カトリーナの災害の際にも、一部で暴動や略奪が起こりました。変わり果てた街のたたずまいの真っ只中にあっても、そのような暴動や略奪とは、まったく無縁の日本の人々の立ち振る舞いに、果たしてアメリカ人もそのような行動をこのような災害時に取れるのだろうかというのが、ナンシーの素朴な疑問であったわけです。
 
私が同じくアメリカのテレビ放送(ABC)の画面から見て感じ取ったのは、東北地方の人たちは、恐らく日本人の中でも特に忍耐強い人たちが多いのではないかという印象でした。別にそれらは、阪神大震災のときと比べてどうだというわけでは決してないのですが、それが特に私の心に響きました。東北の3月はまだ相当に底冷えがするだろうし、着の身着のままで避難生活を余儀なくされた人々のそのような長だの列に並ぶ心境とは、いかばかりなるものであるか、想像することさえ忍びないほどです。
 
アメリカにいても住んでいる地域によっては、自然災害としてハリケーンは来るし、竜巻だって起こるし、90年代前半にはカリフォルニアでいくつかの地震も発生しました。オレゴンをはじめとするアメリカ西海岸地帯は、地震の断層がいくつか走っていて、地震も津波もいつ起こるかわからない地域であるのです。ナンシーはもちろんそれを知っているからこそ、もし同じような規模の大地震がオレゴンで起こったら、オレゴンに住んでいるアメリカ人たちは日本人のような行動が取れるかどうかをきっと彼女の頭の中でシュミレーションをしたのではないかと私は察しました。
 
ナンシーに限ったことではなく、想定外の大災害時に日本人が世界の人々に図らずも示した今回の立ち振る舞いや行動に対して、自らの姿を鏡に映し出すように想像されてみたアメリカ人がきっと大勢いたに違いありません。そういうこともあってか、ナンシーのように日本とは縁もゆかりもない生活をしている、ごく普通のアメリカ市民が日本と日本人に対して信じられないような親近感を感じているのもまた事実です。アメリカの政治や経済だけをみていると、今まではジャパン・パッシングであるとか、ジャパン・ナッシングなどと揶揄されることの多かったここ最近の顕著な傾向でしたが、人心はこの戦後最大の日本の国難に際して、アメリカと日本は両国の人々によって固く結びついていることをきしくも確認することできた瞬間でもあったのでした。
 
 
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