イメージ 1

私は、まだ見ていないのですが、80歳になったクリント・イーストウッドが監督した最新作 “Hereafter“2010年)、この映画の日本公開に先立って、日本向けにインタビューを行ったクリント・イーストウッド本人との取材記事を読む機会がありました。80歳に達してもなお、毎年のように話題をさらう新作を監督し続けるかつてのハリウッドのスーパースターの肉声は、人生に対してなかなかにして味わい深いものでましたので、皆さんにもシェさせていただきたいと思います。
 
映画のタイトルになっているHereafter とは「死後の世界」を意味する英語で、臨死体験や死者への思いを持ったそれぞれまったく別個に生きる3人の人生が描かれた映画で、次第に別個の人生が交差していく過程を追い続けたストリーの展開となっているようです。当然、この映画を監督したイーストウッドには、生と死、そして自身の人生観についての質問が投げかけられます。イーストウッドからの回答は、極めてシンプルで、「人生とはギフトであり、自分のベストを尽くすことが最も重要だと思ってきた」というものでした。さらに続けて「だから『死』というものに夢中になったことは一度もない。死は、単なる旅の一部だと思っている。」
 
なるほど、「人生とはギフト」、つまり(創造主から)贈られたものだという人生観で、確かに贈られたものであるならば、それはしっかりと大事に使っていかなければならないというのが自然の成り行きなのではないかと思います。しかし私たち日本人は、人生をそのように贈られたものとして、果たして捉えているものでしょうか。私の例からしても、「人生は修行の場」であるとか、「人生は苦難の連続」といった、得てしてかなり暗い見方を持っているように感じます。人生はギフトだというイーストウッドの言葉は、この年になっても私にはかなり新鮮に心のひだに響きました。
 

考えてみれば、この世に生れ落ちてから、自分の力や選択というよりは周りの環境に沿って、順応し、親兄弟、そして友人や恋人に巡り合い、そのうちに結婚をして、子供が生まれてくるまさに子供はギフトであり、子供の人生は贈られたものだといってよいでしょう。であるのなら、自分自身の人生も確かに贈られたものであると考えなければ、そこには矛盾が発生します。我々日本人は、特に人生の経済的な成功ばかりを追い求めて、そのようにはいかないと、経済的に成功した人たちと比較して、自分はどうしてこうも人生の中では失敗ばかりなのだ、自分にはまだまだ努力というものが足りないのではないかとつい卑屈になりがちです。しかし、自分には、妻も娘もいて、自分でゼロから作った会社もあり、そこには信頼できる従業員も働いてくれています。それらをギフトだといわずして、一体他に何といえばよいのでしょうか。

 

イーストウッドのこの単純な言葉は、そのようなことを一気に私の脳裏に染み込ませてくれました。繰り返しますが、贈られたギフトであるならば、そのギフトを大切に使うことは贈られた人間の使命であります。ここのところ、セミナーや日本への出張などで週末でも以前のように家族で映画を見ると云うことがすっかり少なくなってしまいましたが、このイーストウッドの新作であります“Hereafter”、アメリカでは恐らくDVDになってレンタルで出回る日も近いのではないかと思いますので、真っ先に見てみたい映画の筆頭候補です。「死」や「死後の世界」を取り扱う映画は、今までにも結構多くありますね。私が印象に残っているのは、“Six Sense”“Ghost”“Always” などでしょうか。 この手のテーマで皆さんのお好きな映画がもしあれば、是非ご紹介してみてくださいね。

 
 
P.S.パシフィック・ドリームス社のサイトにも是非お立ち寄りくださいね。サイトは毎日更新しています。http://www.pacificdreams.orgまで。