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日本人と日系人、どちらもルーツは同じで顔や体格も何ら外見からの違いはありません。日系人の方は、基本的にアメリカ生まれのアメリカ国籍を持つアメリカ市民の方々です。私はすでにアメリカ暮らが今年で23年に達しましたが、いまだに日本の国籍を有し、グリーンカードを持つ永住権保有者という日本人、いわばアメリカ人から見たら外人という立場です。今後ともアメリカ暮らしは、よほどのことがない限り、恐らくは私が死ぬまで続くのではないかと考えています。つまり、骨をこのアメリカの地でうずめる覚悟で毎日生活し、働いています。
 
私が23年前の8月にオレゴンに来たときに、まず地元のセーレムで知ったのは、「松会」という日本人女性の集まりでした。毎年8月の終わりにこの松会による各人が料理を持ち寄って楽しむポトラック・ランチ会が開かれているということを知って参加したことがありました。松会のメンバーの皆さんは、中高年の日本人女性の方々で、ご主人がアメリカ人で結婚されてこちらに来てお住みになっておられました。多くの女性が戦後まもなく、敗戦を迎え、焦土と化した日本に駐留をしていた米人アーミーの花嫁として、日本から移られてきた方々でした。いわゆる「戦争花嫁」であったわけです。(この言葉はもう死語になっていますね。)
 
ところが、1980年代後半になって、当時日本経済は不動産や株式市場がバブル化して、世界の中でも大判振る舞いをしてもよいという錯覚を起こして、日本企業による世界中のホテルやリゾート地、ゴルフ場や名だたる企業の買収が始まったところでした。しかも急激な円高の幕開けとも重なり、私が身を置いていた半導体産業は、特に日米間で激しい経済摩擦の槍玉に上がっていた時代でした。日本製半導体とアメリカ製半導体の市場占有率を政治的決着ではかったがために、多くの日本の半導体メーカーは海外、特にアメリカへの工場進出をせざるを得ないような構造の中に追いやられていたように、今から振り返てみればそのように思えます。
 
新聞でもテレビでも日本製工業製品や自動車、そしてそれら製品に使われる産業のコメとまでいわれた半導体は、まさに日米経済戦争の象徴的業界分野でした。松会で長年世話役を務めていた千恵子さんというかなりご年配の方が当時のランチ会では皆さんを仕切られていらしゃいまして、その千恵子さんから、「私らは、戦争花嫁でアメリカに来たけれども、あんたは戦争花婿だな、だって日米経済戦争の最中じゃない」といわれたことが非常に鮮明に今でも記憶に残っています。千恵子さんは日本の山形県米沢市生まれの日本人でしたが、ハワイ出身で米陸軍にいた日系人のご主人と戦後まもなく結婚されて、即米国籍をおとりになり、日系人としてこちらでお亡くなりになるまで暮らされておりました。
 
戦後まもなく戦争花嫁として、アメリカにわたった多くの日本人女性は、当時の法律で即米国籍を取得しなければならなかったそうです。今はそのような法律はないので、アメリカの軍人と結婚しても別に日本国籍のままで永住権でいつまでもアメリカで暮らすことが出来ます。このように私の母親くらいの年代(80歳前後)の日本人女性は、いまでも戦後まもなく日本からアメリカ人のご主人に連れられてアメリカに移り住み、そのままアメリカ市民になってしまった方が相当数いらっしゃいます。
 
そのような日本人女性の方々とは別で、戦前からアメリカに移住されて主に農業を営んでおられた日系人の方々がやはり大勢アメリカにはいらっしゃいます。戦前に移住されたいわゆる一世や二世の方々は、戦時中ご存知かと思いますが、アメリカ政府からの政策で私財をすべて没収されて強制収容所に連行されたという非常に辛いご経験をなさった方々であります。これらの方々のご子息もいまや三世や四世といった方々が壮年の仲間入りを果たして、ちょうど私と同じような世代かあるいはちょっと年上かといったところで働き盛りとしての中核をになってくれています。しかしながら、どういうわけかそれら日系人の方々との間には、なんとなく深い溝みたいなものがあって、日本から来た私のような人間との交流は、いままでとても限られたものでしかなかったのです。
 
バブル崩壊後の失われた20年を通じて、日本の世界におけるポジションは、いまや急激に地盤沈下を起こしているところですが、翻ってみて、中国人や韓国人の方々がここアメリカに来て大変な苦労をされながらも今の地位を築いてきた背景には、移民で来て辛酸を舐めて苦労したきた先代の方々とのネットワークがきちんと機能していたからではないかと感じます。ここ最近ですが、日本政府もどうやら、ようやくそのようなことに気がついたらしく、アメリカにある各地の日本領事館も日系人の方々を交えた交流プログラムを企画するようになりました。地の利のない日本人や日本企業が急に日本からアメリカにやって来ても、すぐに商売が成り立つわけがありません。それまでに苦労してきた日系人とのネットワークもまったく今までは、活用したり気にかけたりしようとはしてこなかったのですから。
 
中国人や韓国人の進展ぶりや彼らの持つそのパワーを見て、ようやくその辺のところに気がついたとしたら、遅きに失したといわれても仕方がないかもしれません。しかし、それでも日系人は100年以上もかけて培ってきたこのアメリカでのルーツと地域ネットワークを生かすのは今からでも大変貴重なリソースであり、先人の歩んできた歴史を新たに知るということはとても価値のあることではないかと思います。その辺の歴史などもあまり整理されたことがないように思います。いろいろと隠された歴史の紐が解かれていくことを期待するとともに、日系人の方々との様々な交流や出会いが今後もっと生まれてくることを楽しみにしております。
 
 
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