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日経新聞1月3日号の「ニッポン復活の10年」という特集連載記事をこの週末に遅ればせながら読んだところなのですが、残念ながらこの記事を書いた記者の方の楽観的な高揚感とは裏腹に、現実の日本と世界との関係においては、ますますそうはなってはいないのではないかという疑念の方が強く感じられてしまいました。

まずその記事の内容を簡単にお伝えいたしますと、次のようになります。「日本の技術力や研究者数、特許数も世界では、トップクラスにあるが、その源泉は、人材を育てるという日本企業の強さにある。日本には優秀な人材、特に若者を磨くことによって、世界から日本に人材を求むと言わせたい。 そうすれば人口が縮んでも、未来は縮まない。」というものです。 しかしながら、このブログの中でもすでに再三書いてきましたが、日本の特に若い男性の内向き志向と草食化現象を前にして、日経新聞さんには申し訳ないのですが、私にしては、このような論壇は少々絵空事に聞こえるのです。

日本の企業の方々とお話をしていると、技術偏重主義的なマインドをお持ちである方がとても多いということを感じます。 研究開発に精を出して、優れた技術を生み出し、それを使って多機能で高品質な新製品を安価な金額でユーザーに提供することで、今後とも会社の命運を賭けていかれるご模様なのですが、今まで長年そのようにやって来られているにもかかわらず、日本を代表する優れた技術力を持っている総合電機大手企業の業績は、相変わらず低迷を続けています。 もちろん、世界同時不況や金融危機からまだ立ち上がっていないからだといわれるかと思いますが、そんな世界大不況の中でもアップルやサムソン、グーグルなどは、2009年においても増収増益を記録しています。

確かに日本人、特に若者は、平均化してみるとその平均点は他国の若者よりも高いということは間違いなく云えるかと思います。 日本人のその平均点の高さは、しかし両刃の剣であるともいえます。 仮にズバ抜けた能力やスキルを持つ人間が日本の中にいたとしても、平均化した集団の中にいては、そのズバ抜けた人材もしばらくすると集団の持つ平均値周辺に収斂してしまうのです。 さもなければ、そのズバ抜けた人材は、集団から蹴り出されてしまうか、自ら他のもっとハイレベルな仕事が出来る企業(恐らく、外資系企業)を探して移っていくということになるでしょう。

週末に今世界中で大ヒットしている映画「アバター」を妻と一緒に見に行きました。「アバター」はすべて3Dだとばかり思っていたのですが、私たちが見た「アバター」は2Dで、きちんと事前に確認していなかった私たちがいけなかったようなのですが、3Dが見られず、とても残念でした。従来と同じ2Dであり、ストーリーラインがいたって単純ではあったのですが、映画そのものは十分楽しむことが出来ました。 映画が終わって、続編「アバター2」が出てくるであろう予感も抱きながら、最後にスクリーンに映るクレジット(映画制作にかかわった関係者のリスト)を映画音楽とともに見入っていました。 前作の「タイタニック」ほどではないにしてもCGなどでの膨大な制作費を掛けた超大作であることには間違いありませんでしたので、クレジットの出てくるリストもこれまた膨大なものでした。

映画のクレジットは、通常結構速いスピードでどんどん流れてきますので、クレジットにあるすべての制作関係者の名前を読み取ることなどとても出来ません。しかし必死に2時間半を超える長丁場の映画で疲れた目を凝らしながらもクレジットを見入っていますと、少なくとも5人の日本人の方の名前がクレジットの中において確認することが出来ました。 恐らくCGの技術的処理などで関わられたエンジニアの方々ではないかと思いましたが、3Dというこれからの新しい映画の幕開けの予感を告げる画期的な映画制作のエンジニアリングを日本人が携わっていたと云う事実の発見には、ちょっとした感慨を抱くに至りました。

アメリカのハリウッドも日本が持つCGの技術力に頼らざるを得ないところがあったのは想像に固くありません。その優れたCGエンジニアリングのスキルを持つ日本人がこの大作映画の制作に本場のハリウッドから声を掛けてもらって仕事をしているわけですから、日本人も本当に捨てたものではありません。 日経の記事にもありましたが、電気自動車向けのリチウムイオン電池開発に日立化成の日本人技術者がトップになってアメリカで活躍をしているような事例は、ハリウッド大作に起用された日本人のCGエンジニア同様、探せばそういう人たちはいらっしゃるのは事実だと思います。

それでも、そのようなごく稀としかいえない事実をもってして、大半を占める(?)内向き志向で草食系日本人の現在の体質からすれば、日本が世界からの人材要求に対して、その供給源としての人材ハブになれるのかとしたら、残念ですが、そのギャップはとてつもなく大き過ぎるのではないかと考えています。 あくまでもそのような世界の人材要求に手を挙げられる日本人と云うのは、日本の枠に収まり切れない、そのままでは集団から蹴り出されてしまうような人材だと思います。どの時代にもごく少数でしたが、そのような日本人はいたのは事実ですので、これからもあくまでも例外的なスペシャリストとして、世界に打って出ていく日本人は出てきますが、決してそれが日本の人材の奔流になるようなことは、将来的に見てもちょっとありえそうにないことだと思うのです。



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