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異文化コミュニケーションの分野でコンサルティングを提供している私なぞは、職業柄、日本人とアメリカ人とを長年にわたって注意深く観察するのがどうしても癖となってしまったところがあるのですが、その観察を通じて、云えることのひとつに「サプライズ」に対しての反応の違いというものがあります。 結論から申し上げますと、一般的にアメリカ人は、概してサプライズに関しての許容範囲が広く、サプライズそのものに対してむしろそれを楽しもうとするような遊び心があります。 それに対して、日本人は一般的に、サプライズがあることを好まず、計画通りに物事が進むことを最重要視します。 ですからアメリカ人と比べてサプライズに対しての許容範囲は狭く、柔軟性が足りないと云うことははっきり言えるかと思います。

アメリカの中では、きわめて普通に行われる(?)サプライズ・パーティなどもアメリカ人は概して皆、大好きなようなのですが、日本人にとっては戸惑い以外の何ものでもなくて、居心地がきわめてよくないようです。 (かく云う私もそのような戸惑いをまったく隠すことのできない典型的な日本人です。) 恐らく日本の特にビジネスパーソンの多くは、決まった計画やスケジュールにしたがって、通常のプロセスを正しく通ることを社内で教育され、実際にそのように仕事をしてきたからにほかならないからだと思います。 また日本人は得てしてリスクを取ったり、リスクそのものがあることを避けようとするため、プロセスどおりに進まなかったり、横道にそれたりすることも決してよいことだとは思わないわけです。

かたやアメリカ人の方は、結果が良ければあとはすべてオーライという考え方が根強く、多少道を踏み外したり、プロセスが変更になったりしても、安全面での問題でもない限りは、目くじらを立ててとやかく言うことはあまりしません。 まして結果オーライなわけですから、それまで辿ってきたプロセスについていちいち検証したり、反省点を探したりなどということはほとんどないのが普通です。 もちろん、サプライズでもよいサプライズであれば、誰しも歓迎したいわけですが、その辺のところも国民性がよく出ていて、アメリカ人は、楽観的にサプライズをとらえているのに対して、日本人はかなり悲観的にサプライズをとらえているところがあります。

英語の面白い表現で、“We have a good news and bad news today. Which news do you want to hear first?”と切り出す人が時々ビジネスミーティングの中でもいます。まあ、このグッドニュースもバッドニュースも表現程度の差こそあれ、半分ぐらいはジョークだったりするのですが、それでも深刻なバッドニュースも中には本当にあったりします。 まず日本人だったら、会社の業績が悪くてボーナスが出ないなど、相当に落ち込むようなバッドニュースの場面であっても、アメリカ人たちはとりあえず、表面上は、取り繕って楽観主義を貫こうとしますので、このような面白おかしな表現が使われているようなのです。

よくよく考えてみれば、生まれてからこの方何十年もサプライズなしに生きてきた人なんて実はひとりもいないわけです。 学校を卒業できたり、就職できたり、結婚して子供が生まれたりと云うのも、すべてサプライズだといえなくはないでしょう。 もちろん、人生計画があって、家族計画があってと、それはそれなりに都度、計画を作ることは出来ますが、計画通りに行くような人生の方がははるかに少ないはずなのです。 計画通りに行かない場合は、それこそサプライズです。 その計画通りに行かないで、突然遭遇することになるこのサプライズをアメリカ人はむしろエンジョイしているようにさえ傍からは見えるときがあります。

今は超一流企業であっても、この先10年、20年超一流企業であり続ける保証など、この世の中、ますますなくなってきている状況です。 株式市場の浮き沈みや為替相場の推移、来年の企業業績や次の選挙の予測など誰にも出来やしません。 日本人には、本当にチャレンジだと思いますが、人生やこの世の中で起こりうるサプライズをサプライズ・パーティのように精神的に楽しむことが出来るようになったらどんなに人生観が変わるものかなと思わずにはいられません。 その点、日本人には、アメリカ人という良きお師匠さんが隣にいてくれるものですので、彼らから学ぶことの出来る機会の必然性を感じます。 今後日本人にはますます必要となる特質なのかもしれません。 さもないと日本人の自殺者がいつまでたっても少なくならないのではないでしょうか。


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