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仮に「あなたは幸福ですか?」と訊かれても、多くの人はむしろ言葉に詰まってしまうのではないでしょうか。 間髪いれず、あるいは二つ返事で、「とても幸福です」と答えることが出来るとすれば、それは本当に素晴らしい人生を送っている方でありましょう。 しかし現実的には、仮に五体満足で1日3食の食事も取れ、衣服住にもとりあえず当面困ってはいないということであっても、人間というものは、その性というのか、胸を張って「私は幸福です」ときっぱり言い切れる人と云うのは、少ないのではないかと思う次第です。

そんな中で、とある日本の経済誌が、「幸福度を数字に出来るか」という特集記事を最近載せていました。 チベットとインドに接するアジアの小国、ブータン王国では国民の総幸福度を示す指標であるGNH(Gross National Happiness)を国の政策として導入しているということが書かれてありました。 そのことを知った東京都荒川区の西川区長という方は、海外からの入国がなかなかまかりならないという幻の桃源郷であるこのブータンに3人の職員を送り込み、GNHの調査と視察とを行い、GAH(Gross Arakawa Happiness)を荒川区に作成・導入したというということもあわせて書かれていました。

この記事を読んで幸福というものが一般的に果たして、それほど容易に数字化できるのだろうかという素朴な疑問が涌いてきました。 確かに人間は、数字化して、それを見える化できれば、ひとつの安心感(?)につながる、とりわけ政治や国を納める側の立場であれば、それはなおさらそうなのだろうなと云うのは分かり気がします。 しかし人間は、一旦何でも数字化してしまうと、数字が一人歩きして、時には過当競争や意味の無い比較までがとうとうと生まれてしまう可能性も否定できません。 数字が高い低いで、優越感や劣等感を持ってしまうのは、多分本末転倒なのでしょうが、やはりそこは人間の悲しい性で、そういった比較や優劣のツールになってしまうのではないかと思います。

幸福を数字化するという試みは、何もブータンや荒川区だけの特権ではなく、プリンストン大学やミネソタ大学といったアメリカの名門大学の教授、中にはノーベル経済学賞を受賞した碩学も今後の研究対象としているというではありませんか。 キンボール・ミネソタ大学教授は、幸福を高める主要な要素として、社会的な地位、家族と過ごす時間、満足の行く現状などを挙げ、逆に幸福を損なう要素として時は、配偶者や子供の死、失業、(ガンや脳卒中などの)疾病を挙げています。

私の経験からいうと、経済的な成功は確かに一時的には幸福度を押し上げてくれることは間違いないですが、継続性という点から見ると幸福度を維持するのは並大抵なことではないように感じます。 今のような経済状況が続くのであれば、まさに一寸先は闇であり、一時的な成功など、すぐに吹っ飛んでしまうような構造的問題や外部要因がいつ起こらないとも限らないのがこのご時世であるとしたら、幸福感よりも将来への不安感の方がはるかに強いのではないかと個人的には思ってしまいます。

かく云うように経済的な成功には、必ずしもよいことばかりがあるのではなく、人との関係が疑心暗鬼になったり、正体のわからない不安におびえたりという負の部分もきっと出てきます。 経済的な成功には、幸福度を高める以上に、不安感を煽ると云うのが私の経験です。(本当に大した成功などは今までに収めてもいないのですが) 私が幸福度を覚えるのは、たとえばラジオで自分の大好きな音楽がかかっていたとか、レンタルビデオで見た映画が素晴らしかったなどと云うのは、取り止めもないことのようですが、思い出に残ります。 それらのことを思い返すことでも幸福感が込み上げてきます。

皆様の幸福感はどのようなときに充足されますか? それら幸福感を数字で表せると思いますか? また数字化する意義があるでしょうか? ノーベル賞クラスの碩学も巻き込むこの議論、私としては、一人一人がじっくりと考えてみるべき課題であるように思いますね。


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