皆さんは、レイ・クロック(Ray Kroc)という人の名前を聞いたことがありますか? マクドナルドのハンバーガーチェーン店をフランチャイズとしてアメリカ中で、そして世界中で作り上げた人です。 彼は、1984年にカリフォルニア州サンディエゴで81歳で亡くなっているのですが、彼の奥さんであったジョーン・クロック(Joan Kroc)は、1998年に救世軍(The Salvation Army)に、9,000万ドルの寄贈をされて、救世軍は2001年にその寄贈によってサンディエゴに最初の ”Ray & Joan Kroc Corps Community Center” というコミュニティ・センターの建設を行いました。
その後、2003年10月にジョーンがお亡くなりになると、彼女の遺言に基づいて、なんと15億ドルの遺産が救世軍に贈られたのです。 これは、救世軍に贈られた単独の寄付金としては、未だに破られていない最大の寄付なのだそうです。 救世軍は、この巨額の寄付金をもとに2005年から、全米各地でジョーンの遺志に基づいて、コミュニティ・センターの建設に着手し始めました。 ジョーンの遺産もアメリカの好景気の影響を受けて、18億ドルにまでその資産価値を増していました。 昨年2008年までに、オハイオ州アッシュランド、ジョージア州アトランタ、アイダホ州コードアレーン、そしてサンフランシスコで、救世軍によって、レイとジョーン・クロックのコミュニティ・センターが完成しました。
そして今年2009年、なんとオレゴン州セーレムとネブラスカ州オマハの2箇所でクロック・センターの建設が始まり、セーレムのセンターはこの9月にはオープンする予定で、建物の建設工事も最終段階に入っています。 セーレムのセンターは、約4,000万ドルの工事費をかけて建設されています。 全米の中にある多くの都市の中で、それではどうしてセーレムがセンター建設に選ばれたのでしょうか。 それは、セーレムの地元の企業家や有力者たちが寄付を集めたからなのです。 地元紙によると、センター建設の候補地に選ばれるためには、地元で、最低900万ドルの資金集めが出来ていなければならないという条件があり、その条件を満たしていなければ、候補地としてさえ認められないからだと云うのです。
セーレムは、幸運にも昨年9月のリーマン・ショック前にギリギリのところで、900万ドルの資金集めを完了し、候補地として名乗りを上げることができました。 他にも候補地として名乗りを上げる都市がきっとあったことかと思われますが、リーマン・ショックを境にして、資金集め多くは、頓挫してしまったとのだとやはり地元紙は伝えています。 その意味で、セーレムは本当にラッキーでした。 そして現在、9月オープンのセンターの職員募集が行われており、フルタイムの職員が30数名、さらにパートタイムとして80数名の採用がなされるということです。
実は、その採用枠の中で私の娘も先日クロック・センターでの面接を受けてきました。 本日メールが娘のもとに届き、パートタイムとしての採用が決まったというではありませんか。 詳しいことは娘も私もまだ分からないのですが、センターの中で、アートや音楽を子供たちに教えるインストラクターのポジションだということです。 娘は、オレゴン州での教職員資格はまだ取得していないものの、いちおう今年フィラデルフィアにあるアート専門大学院を卒業しましたので、それが採用上の大きなインセンティブになったと云うのは、十分理解できることです。
失業率の高いオレゴン州の中で、このようなまったく新しいコミュニティセンターの建設が全米中から選ばれてセーレムに決まり、しかもたまたま今年大学院を卒業して、フィラデルフィアからセーレムの我が家に戻ってきた娘に勉強してきたことを生かせるような仕事がこのクロック・センターで待ち受けていたというのは、偶然であるとはいえ、とても不思議な気がします。 地元にある救世軍を含め、クロック・センターを誘致することに目標を掲げ、見事成功した地元セーレムの有力者の方々や関係者に深く感謝を表したいと思います。
PS. パシフィック・ドリームス社のサイトにも是非お立ち寄りくださいね。サイトは毎日更新しています。http://www.pacificdreams.orgまで。
その後、2003年10月にジョーンがお亡くなりになると、彼女の遺言に基づいて、なんと15億ドルの遺産が救世軍に贈られたのです。 これは、救世軍に贈られた単独の寄付金としては、未だに破られていない最大の寄付なのだそうです。 救世軍は、この巨額の寄付金をもとに2005年から、全米各地でジョーンの遺志に基づいて、コミュニティ・センターの建設に着手し始めました。 ジョーンの遺産もアメリカの好景気の影響を受けて、18億ドルにまでその資産価値を増していました。 昨年2008年までに、オハイオ州アッシュランド、ジョージア州アトランタ、アイダホ州コードアレーン、そしてサンフランシスコで、救世軍によって、レイとジョーン・クロックのコミュニティ・センターが完成しました。
そして今年2009年、なんとオレゴン州セーレムとネブラスカ州オマハの2箇所でクロック・センターの建設が始まり、セーレムのセンターはこの9月にはオープンする予定で、建物の建設工事も最終段階に入っています。 セーレムのセンターは、約4,000万ドルの工事費をかけて建設されています。 全米の中にある多くの都市の中で、それではどうしてセーレムがセンター建設に選ばれたのでしょうか。 それは、セーレムの地元の企業家や有力者たちが寄付を集めたからなのです。 地元紙によると、センター建設の候補地に選ばれるためには、地元で、最低900万ドルの資金集めが出来ていなければならないという条件があり、その条件を満たしていなければ、候補地としてさえ認められないからだと云うのです。
セーレムは、幸運にも昨年9月のリーマン・ショック前にギリギリのところで、900万ドルの資金集めを完了し、候補地として名乗りを上げることができました。 他にも候補地として名乗りを上げる都市がきっとあったことかと思われますが、リーマン・ショックを境にして、資金集め多くは、頓挫してしまったとのだとやはり地元紙は伝えています。 その意味で、セーレムは本当にラッキーでした。 そして現在、9月オープンのセンターの職員募集が行われており、フルタイムの職員が30数名、さらにパートタイムとして80数名の採用がなされるということです。
実は、その採用枠の中で私の娘も先日クロック・センターでの面接を受けてきました。 本日メールが娘のもとに届き、パートタイムとしての採用が決まったというではありませんか。 詳しいことは娘も私もまだ分からないのですが、センターの中で、アートや音楽を子供たちに教えるインストラクターのポジションだということです。 娘は、オレゴン州での教職員資格はまだ取得していないものの、いちおう今年フィラデルフィアにあるアート専門大学院を卒業しましたので、それが採用上の大きなインセンティブになったと云うのは、十分理解できることです。
失業率の高いオレゴン州の中で、このようなまったく新しいコミュニティセンターの建設が全米中から選ばれてセーレムに決まり、しかもたまたま今年大学院を卒業して、フィラデルフィアからセーレムの我が家に戻ってきた娘に勉強してきたことを生かせるような仕事がこのクロック・センターで待ち受けていたというのは、偶然であるとはいえ、とても不思議な気がします。 地元にある救世軍を含め、クロック・センターを誘致することに目標を掲げ、見事成功した地元セーレムの有力者の方々や関係者に深く感謝を表したいと思います。
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