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皆さんは、“Green Horn”という英語の表現をお聞きになったことがおありでしょうか。 これは、アメリカのスラングのひとつで、日本語でいうと、ほぼ「青二才」とか「新米」とかいう意味にあてはまりますが、もうひとつアメリカン・スラング特有の意味として、「外国から来たばかりの移民」を指していう言葉でもあります。 別に軽蔑的な意味合いなどは含んではいませんが、やはり誰もが、”Green Horn“の状態を脱して、いっぱしの「大人」あるいは「経験者」として認めてもらいたいということは当然ながらあるわけです。

なぜ今回のブログでこの“Green Horn”について書くのかと申しますと、前回のブログでも書きましたように、飛行機の隣に座った老紳士が、実は戦後間もないときにドイツからアメリカに移民で来られた方であって、彼の両親は、当初一言も英語が話せなかったのを2年間の猛勉強に末、一人前に英語が話せるようになり、仕事や生活の面で困らないようになったという話をお聞きしたときに、この
”Green Horn” という言葉が瞬間的に私の脳裏の中をかすめたからでした。

もともとの英語の語源は、ハンティングで山に鹿狩りにいくときに、角の色が緑色をしている鹿を見つけたら、その鹿は、まだ成熟していない若い鹿なので、銃で撃ってはいけないという一種の掟のようなものがハンターの間ではあったからで、その言葉が転じて、移民として外国からアメリカに渡ってきたばかりの移住者に対して、比ゆ的に使われるようになったということを私は、聞いています。 特に19世紀後半ならびに20世紀前半に至るまで、多くの移住者がヨーロッパ諸国から、戦争や民族的・政治的弾圧、さらに飢饉などを逃れてアメリカに移住してきました。 その代表的な人々は、19世紀の時代は、アイルランド人が、そして20世紀になると、ユダヤ人が非常に多かったわけです。

特に20世紀前半のナチによる戦火と弾圧を逃れて、アメリカから渡ってきたほとんどのヨーロッパ人たちは、ヨーロッパにある主要言語を数ヶ国語不自由なく話せる人が少なくありませんでしたが、英語だけは、ほとんどの人がまったく話せなかったということです。 それにもかかわらず、ヨーロッパを捨てて新天地であるアメリカに渡ってきた人々は、必死の覚悟で英語の習得を始め、数年のうちには英語を家族内で完全にマスターしてしまったといいます。 その代わりといっては何ですが、多くの家族では、子供や孫たちに自分たちが持っていたヨーロッパの母国語を継承することをしませんでした。

アメリカ人の名前を聞くと、ある程度その人の血筋は、ドイツ系であるとか、フランス系であるとかイタリア系であるとかの察しがつくものですが、今いる彼らは、ドイツ語やフランス語、イタリア語などは微塵だにも話すことが出来ません。 つまり、世代から世代への母国語としての言語の継承は、アメリカに渡ってきたときから、家族の中で途切れてしまったわけです。 それは、皆一日でも早く“Green Horn” と呼ばれる段階から脱して、一人前のアメリカ市民として見られたいというものすごく熱烈なる願望が人々の底流にあったからにほかなりません。

恐らく、”Green Horn” という言葉自体、すでにアメリカ英語の中でも死語になっているのかもしれません。 少なくとも、「外国から来たばかりの移民」という意味は若い世代のアメリカ人には、すでにまったく馴染みのない使い方ではないかと思います。 逆に最近のアメリカでは、移住者であっても自分の母国語や自国の文化を子供や孫たちに家庭内できちんと継承していくことが価値のあることだとして、高く評価されるようになってきています。 一刻も早く ”Green Horn” からの状態を脱しなければならないという20世紀半ばまで多くの移住者が抱いていた切迫した感覚だけはすっかり薄れてきているように思います。 それは、グローバル化が進み、戦火はまだこの地上から途絶えたことはないものの、以前と比べて相対的には、世界がより平和になってきたという証であるのかもしれません。



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