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ロードアイランド州ニューポートの思い出

先月後半に業界団体の会議出席のために訪れました、ロードアイランド州のプロビデンスから車で45分ぐらい海岸に向けて東に走ったところにニューポートというかつてアメリカズ・カップというヨット競技では世界最高峰を決めるレースが開催された、風光明媚な有名なリゾート地があります。翻訳会社が集まった業界団体の年次総会が土曜日の午前中で終わり、お昼過ぎから翻訳会社グループでチャーターした大型バスでプロビデンスのマリオットホテルを出発し、ニューポートに向かって私たちを乗せたバスは、走り出しました。

6月の観光シーズンの土曜日とあって、ニューポートまでのハイウェイはけっこう車で混み合っていまして、通常45分で着くという片道も倍の1時間半近くかかって、ニューポートのダウンタウンを通り過ぎた海岸線のすぐ近くにある、“ブレーカーズ”(Breakers)と呼ばれる、ニューポート・マンションズ(ニューポートに点在する大豪邸の総称)の中でも最大の規模を誇る大豪邸近くにバスは到着しました。

ニューポートでの最初のアクティビティは、この16世紀のイタリアの宮殿を模して1895年に建てられたという絢爛豪華な大豪邸の見学です。団体割引にネゴしてもらって、1人10ドルの見学料を支払い、大豪邸前の行列に並ぶことおよそ45分、ようやく案内係の感じのよい若い女性が付いて、大豪邸内の探索開始であります。

この大豪邸のかつての施行主でありオーナーは、コーネリアス・ヴァンダービルド2世夫妻という19世紀末にニューヨーク中央鉄道の社主であった大富豪の一家でありました。この大豪邸には、23のバスルームを含めた部屋が70あり、どの部屋もそれぞれにテーマがあって、贅を尽くした装飾が大理石や金で施されています。この大豪邸の建設には、当時(1892年から95年)延べ2,000人もの人たちが費やされたということですから、物凄い建築物であったことが計り知れます。

大豪邸の名称であります“ブレーカーズ”というのは、大豪邸前にある海岸に押し寄せる波の音が砕けて、ブレークするというところから由来しているそうです。このブレーカーズを初めとするニューポート・マンションズは、どれも皆サマー・カッテージだということで、いわゆる夏場の別荘地であったわけです。この大豪邸も1年の内で使われたのは、7月と8月の約8週間足らずの間だけであったといいます。まさにとんでもない大富豪が当時は、東海岸にはいらしたのですね。驚きでした。

大豪邸の豪華さとは対照的に、ヴァンダービルド氏の人生はそれほど豊穣なものであったわけではなく、彼はこのブレーカーズ建設した後、4年後には世を去ってしまいました。また、7人いた子供もそのうちの2人は、若くして亡くなってしまい、ブレーカーズを存分に楽しむことはできなかったようです。はかない人生の行く末を感じ入ってしまいました。

このニューポートの街は、かつてのJFK(John F Kennedy)もこよなく愛してやまなかった街であり、彼と妻のジャックリーンが結婚式を挙げた、セントメリーズ・カトリック教会や結婚披露宴を開いたハマースミス・ファームという農場も残っており、JFKゆかりのリゾート地であるかといえます。確かにJFKが愛した地であるという不思議な雰囲気がこの街のどこにいても感じられました。街のほとんどは、徒歩で歩いてまわれる距離にあり、足が棒になるまで私たちも歩き続けました。

日本の温泉場に行きますとやはり不思議な雰囲気があり、温泉街を歩きますとその温泉街独特の情緒を肌で感じるわけですが、このニューポートは一種日本の温泉街に通じる、何ともいえない空気を味わいました。それは、どこを歩いてもこの街特有のゆったりとした時間の流れる空間とリラックスした空気とが訪れた人を包み込んでくれるからだと思います。波止場にたたずむ美しいヨットの数々と真っ白なマストを眺めているだけで、時の立つのを忘れてしまいそうです。

わずか半日ちょっとの滞在ではありましたが、最もメモリアブルなアメリカにある港町として、生涯忘れられない記憶を私の心に刻み込ませてくれました。一緒にニューポートに行った、世界中から集まった翻訳会社の方々とも、本当に楽しい1日になりました。こんな素晴らしい時間は、私の人生でもそうざらにあるものではないと感じ、ニューポートの沈みゆく夕日を波止場にあるホテルの屋外レストランから眺めていると思わず、眼が潤んできしまいそうになりました。



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