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アメリカではサッカーは一般的に言ってほとんど話題に上ることもなく、悲しい話でありますが、テレビでサッカーの試合の放送を見るようなことも4年に一度のワールドカップの試合を除けばほぼ皆無というのが実情です。アメリカ人(特に男性)のイメージとしてサッカーというスポーツは、どうも子供や女性がするスポーツのような感覚を持っていて、同じフットボールであるには違いないのですが、アメリカにおりますとアメリカンフットボウルでなければフットボールにあらずという空気がアメリカ中、津々浦々にまでに蔓延していることが手の取るようによくわかります。

アメリカ以外ではあまり行われていないこのアメリカンフットボウルの比べて、サッカーはオリンピックに参加する国々の数よりも多くの国がワールドカップの予選に出場していますので、これほど国際化され、裾野が広く、奥行きの深いスポーツは他に例がありません。しかもサッカーのゲームの組み立て方やサポーターの応援の仕方などは各国千差万別で、それぞれのお国柄や文化の違いが出ていて、とても興味深い面が実に多いスポーツであるかと申せます。

ワールドカップに出場するための日本サッカーの代表チームを率いる歴代の代表監督の多くもまた、外国人監督であり、明治政府が維新後に多くの外国人技術者たちを国費を使って招聘したのを彷彿するかのような人事をいまだ敢行しています。ここで申し上げるまでもないことですが、昨年6月のドイツでのワールドカップ1次リーグ敗退後にジーコから監督の座を引き継いだのは、旧ユーゴ・スロバキア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身のご存知、オシム監督でありました。

外国人の監督が日本チームを率いること自体、すでにプロ野球などでは昔からあったことですから別に物珍しいことでもなんでもないことなのでしょうが、そこは日本人の監督であれば気付かなかったり、仮に気付いたにしても問題視して発言が出てくるようなことではないことが、文化的な食い違いや埋められないようなギャップとして発言の中に出てくるのを私は特に耳をそば立てて聞き逃さないように最善の注意を注いでいます。

彼ら外国人監督から、異文化の世界の中で往々にして経験させられる人間しか感じようのない重い言葉が数々発信されてくるからなのです。それは、アメリカで異文化コミュニケーションや異文化経営のコンサルティングを行っている私にとっても本当にハッとするような内容であることが少なくありません。そのようことを私に特に思い知らせてくれた印象深いジーコとオシムの各監督の重い言葉をそれぞれ以下にご紹介したいと思います。

「日本人は、試合中に指示の声をなかなか出さない。この性質は私が生きているうちは変わらないかもしれない。自分に見える問題については、すべて声に出せといってきたのだが。」(監督解任後にトルコでプロチームの監督になり、日本チームの回想についてのインタビューの中でのジーコの言葉)

「日本にきて監督になって驚いたことの1つに、負けチームにサポーターがブーイングではなく、次は頑張れと励ますことだった。どうもこの国には、結果だけにはとらわれない文化がある、ということに気付かされた。」(千葉の監督をしていた当時のオシムの言葉)

オシムは、日本代表監督に就任したときに、「日本チームをもっと日本化したチームにしたい」と語っていました。オシム監督の言動はこれからますます目も耳も離せなくなりますね。残念ながら私はアメリカにいるため、日本のサッカーに関して入ってくる情報は恐ろしいほど少ないのですが、それでも限られた情報の断片をできるだけつなぎ合わせて、日本チームの成長度合いをアメリカから見守ってまいりたいと思います。今年7月のアジアカップでの優勝をまずは期待を込めて祈願してみたいところです。



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