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前回のブログでも書きましたとおり、プレーイングマネジャーという監督と選手とを兼任するような離れ業は、スペシャリストが大きく幅を利かせているアメリカ社会ではもはや「すたれた」存在だと申し上げました。ではプレーイングマネジャーは別として「兼任」とか「兼業」とかいうことは、アメリカではまったくありえない話なのでしょうか、という問いの投げかけをして、そのことは次回のブログでお伝えしますといって締めくくりました。

そこで、この続きを始めさせていただきます。これからの話は、大リーグなどのプロスポーツの世界というよりは、学生スポーツの世界での話になります。アメリカの高校生で花形スポーツ選手というのは、たいていアメリカンフットボウルのクウォーターバックあるいはラインバックの選手だとされています。しかしアメリカでは、学生である選手は1年中を通してフットボウルをしているわけではありません。ご存知のようにフットボウルは秋から冬にかけてのどちらかといえば、ウインタースポーツの部類に入いるスポーツなのです。

それでは春から夏にかけてはといえば、普通ベースボールやバスケットボールが盛んに行われます。フットボウルの花形選手も例外ではなく、秋になるまでの間は、フットボウル以外の他のボールゲームで大いに活躍することがごく普通に見うけられます。これは、日本ではちょっと考えられない状況ではないかと思います。高校の野球部に所属すれば、真冬でも野球に関係するトレーニングを積み、バスケットボール部やサッカー部に冬の間だけ入部するというのは、ほとんどありえないことなのではないでしょうか。

ところが、どうもアメリカでの若いときのスポーツ選手への見方は違っていて、その高校生が果たしてフットボウルでこれからも最高の才能と素質とを開花させることができるのか、それともベースボールでもっと素晴らしい力が発揮できるのではないかと、高校生ぐらいの段階で判を押したようにひとつのスポーツに決めつけるのはおかしいという発想が根底にはどうもあるようなのです。ですから本当にスポーツのできる運動能力の抜群の高校生は年間を通じて3つぐらいのスポーツを平気で掛け持ちしていて、季節ごとに行われる大会や試合に参加して、各スポーツで驚くような好成績を挙げている選手が時々地元の新聞などでも大きく取り上げられることがあります。

これは別に特別なスポーツ万能の天才少年が出現したというような大それたものではなく、けっこうこのようにいずれのスポーツでも群を抜くような選手がその町に一人や二人は毎年現れるものなのです。かといって、そのような花形選手がすぐにプロスポーツの世界からお呼びがかかるかというと、そういう場合ももちろんあるのでしょうけれども、層の大変ぶ厚いアメリカプロスポーツの底辺集団からまずはスタートしなければならないというのは、誰しも似たり寄ったりのところがあるようです。

ですから、最初に入ったプロスポーツ界は大リーグでその後大リーグを引退(?)して、NBAのバスケットボールのプロになったという選手を何人か知っています。日本でプロ野球選手であった人がその後、サッカーのJリーグの選手になったという話はちょっと聞いたことがありませんし、実際日本ではそのようなことはほぼ不可能なことだと鼻から考えられているのではないでしょうか。ちょっと前の話ですが、かのシカゴブルズのマイケル・ジョーダンがNBAから一時引退宣言をして、その後、マイナーリーグのチームで野球のプレーをしていた時期がありました。やはり日本ではない話だと思ったものです。

アメリカではスポーツ万能の選手がたまにいて、どんなスポーツをやらせても群を抜いている、だから高校生ぐらいでフットボウルだけの選手になることだけを目指すのは、もったいない、もっと選択肢を多くもって、後からでも本当に得意な生涯をかける競技を見つけ出したらいいんじゃないかというきわめて寛容な雰囲気が親も学校のコーチも持っているものです。アメリカでは、「巨人の星」や「柔道一直線」(2つとも古くてゴメンナサイ!)というのは、まったくはやらないシナリオなのです。教育観の違いといってしまえばそれまでかもしれませんけれどもね。