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今年は、日本の景気も回復基調にあるせいか、例年になく、海外まで足を伸ばされた方々も多いようです。私の住むオレゴン州にもかつての三菱マテリアル時代の上司の方(今は、退職され悠々自適)が、ご家族や親友の方々を伴って、ゴルフ場巡りを含めましたバケーションでお越しいただき、久し振りの再会に時の流れを越えて、家族同士の心温める交友を実現することができました。さて、その際に、散見いたしました事象を私の観察と勝手な解釈とによってご紹介させていただき、異文化理解の検討材料にしたいと思います。

しばらく振りでアメリカに来られたり、あるいは初めてアメリカに来られた日本人の方々は、レストランでの食事の注文をするたびに、実は大変な思いをすることになります。それは、ランチでサンドイッチひとつをオーダーするにしても、サンドイッチにはさむ中身の種類(ハムなのか、ターキーなのか、はたまたツナであるのか)、パンの種類(ホワイトであるのか、ホウルウィートであるのか、サワドウなのか)、野菜は何を入れるか(玉ねぎは入れてもOKか)、サンドイッチに一緒につけるのは、スープがいいか、サラダがいいか、スープなら、クラムチャウダーかミネストローニか、サラダであれば、ドレッシングは何がよろしいか(5種類は最低でもある!)というまさに質問漬けの世界に対峙することになります。

ウェイトレスをしている女性にとっては、毎日同じ質問を繰り返ししなければなりませんので、お客さんが英語を母国語で理解する人間であろうがなかろうが、普通かなりの早口でまくし立てるものなのです。そのやりとりは、当のご本人にとりましてはまさに冷や汗ものでありまして、ランチひとつのオーダーになんでこんなに神経を擦り減らさなければならないのか、もう何でも手取り早く食えるものを持ってきてくれと心の中で叫びつつ、ストレス一杯の臨界状態に達してしまうご様子をお見かけすることになります。

ひとつのテーブルでの注文取りが終わるとそれで、日本からの時差ボケの影響も手伝って、やれやれまったくご苦労様でありましたという感じに浸ってしまいます。万事このようにアメリカでは、自分で何でも選択しなければならない、つまり、アメリカ人は、自分で選択することが最もフェアな要件であり、それがひいては個人一人ひとりを尊重するアメリカ民主主義の礎(いしずえ)であるかのように固く信じている方がほとんどであるのです。しかも選択肢は多いほどよいのであって、いくつもある選択肢の中から自分が選んで決めたのだという事実関係は、極めて大切な自負になっているわけです。したがいまして、ランチのサンドイッチをオーダーするときも決してそれは例外にはならないわけです。

そのようなアメリカ人気質と申しますか、彼らのカルチャーに馴染みの少ない日本人の旅行者にとりましては、最初はかなり面食らってしまうわけです。それは、日本人の持つ文化は、アメリカ人のそれとほぼ正反対のポジションに位置しておりまして、いってみれば、日本の文化は相手におまかせする文化ではないかと申すことが出来ます。そのおまかせ文化を紐解いてみますと、良い選択というのは、誰が選択するかによってそう変わるものではないのであって、恐らく正しい選択はひとつしかないはず(?)だから、自分がよく知らないがために下手にリスクを犯すよりも、精通しているはずであるその道のプロの意見に従って、ベストの選択をしてもらったほうが結果はずっといいだろう(?)し、自分にとっても楽で安心できるという気持ちが作用するからではないかと分析できます。

それでは、食事の注文で煩わしさを激減させる、とっておきの方法をご伝授いたしましょう。それは、レストラン内での四方のテーブルを見回して、見た目にもおいしそうなディシュを楽しんでいるご同輩を見つけ、その人とまったく同じものをもってきてくれというやり方です。驚くことに、このような注文の仕方をするアメリカ人もときにはいるようでありまして、先日も、タイ・レストランで、妻の注文したスープでTom Yumというディシュを「それ、とても美味しそうに見えますね」と、単刀直入な質問を隣のテーブルにいた私どもにお尋ねになってこられた、体格もご立派なアメリカ人中年ご婦人グループがおられまして、私たちの推薦に聞き従って、けっこうスパイシーなTom Yumをご注文されてたいそう堪能されていました。

自分が知らなかったり、馴れていない異文化の世界の中で選択をしなければならない場合にあっては、アメリカ人であっても、選択肢が多いということだけでは必ずしも安心感にはつながりません。このようなとき、かりに見ず知らずの人であっても、コミュニケーションをお互いが取り合い、確認しあうことによって、余計なリスクや不安を自分たちだけで背負い込まなくても済むということになります。アメリカ人というのは、ことほどさようにプラグマティック(実用主義的)に出来ているなかなかしたたかな人たちなのでもあります。